なぜ医者は燃え尽きるのか

私は後期研修中に1ヶ月休職したことがある。

医者の中で休職を経験する人は意外と珍しくないらしい。

最近では医者の燃え尽き症候群や、過労死も問題として取り上げられるようになってきて、

なんとなくイメージがしやすくなってきたかもしれない。

しかし、私が実際に仕事に行けなくなった時に助けを求めてみて

この世界(医局の人たちや、逆に医療者ではない知り合いの人たち)は私の気持ちを全く理解してくれない、ということを痛感した。

当事者の気持ちは当事者にしかわからないし、当事者であっても、

置かれている状況が違うので感じていることは違うし、

仮に置かれている状況が同じでも、人が違えば感じることは違う。

なので、私が感じたことが万人に通じるわけではないのだが、

それでも何かの参考にはなる部分はあるはずで、

医療者の燃え尽きやうつ状態につながりうる要素を自分の経験をもとに考えてみる。

 

①物理的な疲労(長時間労働、睡眠時間の不足、自分時間の不足)

まず、特定の診療科においては労働時間がやはり長すぎる。

過労死ラインと言われる残業月100時間を越えることが特別ではない科は平然と存在する。

長時間労働の原因の一つには医者が足りていないまたは偏在化している(需要と供給が一致していない)ということがある。

診療科だけではなく地域による偏在という問題もあり、例えば首都圏と北海道東北エリアの医者の数の差なども問題となっている。

過疎地域では常に医者不足で必然的に当直や待機が増えがちである。

だが、もしかしたらそれ以上に大きいかもしれないのは、医者自身の考え方の問題である。

指導医は「専攻医なんだから仕事が勉強でしょ。今頑張らなくていつ頑張るの。俺たちが若い頃はもっと酷かったよ」と思っているし、

専攻医側もなんだかんだ真面目だしM気質のひとが少なくないので、「自分の勉強になることだから、頑張らないと。みんなこれくらいは頑張ってるんだ。」と自分を追い込んでしまう。

自分を犠牲にして仕事に集中するべきだ、と(個人によって程度の差こそあれ)医者は思っているし、そう思うように医学部時代に教育を受ける。

いつ何時でも患者のことを考えるのが、医師として、プロとしてのあるべき姿であると。

結果として、ちょっと疲れたな、というくらいでは「キャパオーバーです、きついです」なんて言えなくて、気づいたときには取り返しのつかないところまで自分を追い込んでいたりする。

精神的にも肉体的にも健康な状態でいないとパフォーマンスが下がる、というのは元気な時は当然理解しているのに、いざ追い詰められるとそんなことは考えられなくなる。

人間とはそういうものだ。

医者自体の働き方に対する考え方は前よりは緩くなっているとは思うが、

長時間労働なんてまっぴらごめんだ、という人はそもそも危険そうな診療科には進まないので

外科系や循環器内科などの激しめの科にすすむ人はそれだけで燃え尽き高リスク群である可能性もあって、

これ以上の悲劇を繰り返さないためには仕組み自体を変えるしかないと思う。

なので、医者を守るためにはある程度労働時間を制限することはやはり必要であると思うし

メンター制などを活用して、定期的に専攻医の精神状態や健康状態をフォローすることも大切であろう。

 

②対人関係(上司との関係、孤独)

あからさまなパワハラ上司になぜ人は屈するのか。平常時には不思議に思うかもしれない。

しかし、研修医というのは医療界においてはひよっこなので、

まずそもそも目にするものが異常なのかどうかの判断がつかないことがある。

刷り込みみたいなもので、上司の言っていることが絶対正しいんだと思ってしまう人も一部いて、その上司がパワハラ上司だったりすると地獄になる。

「お前はなんでこんなこともできないんだ」「のろま」「仕事のできない奴はでてけ」と直接言われたり、殴る、蹴る、せっかく書いた手術記録を捨てるなどはあまりにわかりやすいので減っていると思うが、

指導のふりをして人格を否定するようなことを言う人は残念ながらまだまだいる。

専攻医側としても、自分が何もできていないのは重々承知しているので、「自分がいけないんだ、なんでこんなこともできないんだ、自分ができないのがいけないんだ」となってしまったりする。無論、厳格な縦社会の医者界隈で上司に文句を言うなんて難しい。

明らかにおかしいのが上司であったとしても、病院において中年以降の医者に楯突くのはなんとなく御法度なので、周りのコメディカルが上司に対して、おかしいのはあんただよ、と言ってくれることはあまりない。(裏で、おかしいのはあの上司だから、あなたは気にすることないよ、と看護師さんが声をかけてくれたりすると涙が出る)

そういう時に、傷を舐め合える同期や友達がいればいいのだが、専攻医は孤独だったりする。一つには、周りの同級生も忙しそうで食事に誘ったりしにくいということと、もう一つは勤務地が医局人事で自分の意思とは関係なく決められていることが少なくない、ということがある。この部分は初期研修との差とも言える。

ただでさえ、病院と家の往復の生活でその上仕事の対人関係が粗悪であったら

耐えられないのは必然だ。

(ここで難しいのは、指導自体を批判しているわけではない。ということなのだが、それはまた別の機会に)

 

対人関係での燃え尽きを防ぐためには、職場以外の人間関係を無くさないようにして負のスパイラルに落ちないようにすることと、病院内に味方を作ることが有用である。

明らかに上司がおかしいときには、無理をせずに環境を変えることも一考すべきである。

 

③自己肯定感の欠如/喪失

医者になって働き始めると、医者になるために結構勉強してきたはずなのに、

何もできないことに多かれ少なかれショックを受ける。

一部の怖い看護師さん達に「この新人、何もわかってねえな」と思われているな、

一部の患者さん達に「こいつ研修医みたいだけど、大丈夫か?」と思われているなと思う度

はたまた、自分の不勉強を自覚する度に、

自己肯定感が下がっていく実感がある。

自分の経験不足に依る無力感を感じることも多いし、

医学の限界による無力感を感じることもある。

 

自分が役に立っている、ここにいる意味がある、ここにいてもいいと思えることがモチベーションの維持には大切だ。

逆にこれが全くないと、よほど仕事自体に興味があるか、修行の先に明るい未来があると確信していない限り努力し続けるのは難しいと思う。

研修医は勉強している立場で、与えるものより与えられているものが多いかもしれないが、

特に後期研修医について言えば、後期研修医がいないと回らない病院だってあるし、

チームの一員で、それぞれの役割で貢献していると感じることがモチベーションにつながる。

ポジティブなフィードバックを受けたりや感謝されることがこれらを助けるので

指導医の皆さんは研修医の良いところを見つけたら褒めてあげたほうがいいかもしれない。

 

④組織への帰属

チームへの帰属感は仕事のモチベーションにつながるが、負の方向へ向かうこともある。

自分のことを自分で決められないのはストレスフルで、医師にとってその最たるものは医局人事による定期的な引越しである。

ここで重要なのは、医局に対する信頼感である。どれくらい医局が医局員のことを人として尊重してくれるのか。

駒として医局員を扱うような医局のために頑張ろうと思うほど我々は阿呆ではない。

また、医局としての将来設計が不透明であること、教育に投資しようとしない医局などにいるとモチベーションは下がってしまうかもしれない。

何故こんな大変な長時間労働をして、この人たちの言いなりになっているんだろう。

私は休職したときに、そう思った。

 

これを防ぐには?いい医局を見極められたらいいのだろうが、なかなか難しい。

医局を変えるために努力するのは素晴らしいが、話の通じない人たちなのであれば

自分が去るのが得策かもしれない。

 

⑤自身の性格/思考/行動特性と仕事のアンマッチ

医者の仕事には色々ある。

臨床医だけでも救急が多いものから、ほぼないもの。

患者さんとたくさん話す科から、全く会わない科。

臨床医以外にも、研究、公衆衛生、産業医など色々医師免許の活用方法はある。

これだけ色々な仕事があるのだから、合う合わないはやはりある。

自分の特性に合っていない仕事を選択してしまうのは悲劇だ。

私は働き始めて、夜中に救急や病院からの電話で叩き起こされることが強いストレスであることを初めて知った。

夜起こされることが好きな人はいないだろうが、どのくらいストレスに感じるかは人による。

救急対応も私はあまり好きではないが、一生の生業としたい人たちもいる。

パイロットや鉄道会社の就職試験には職業適性検査があったりするのに、医者にはない。

唯一医者を篩にかけるのは、医学部入試の面接くらいだが、

明らかに医者不適格と思われる人が弾き出されるだけなので、

医者の中の診療科適性を客観的に評価する機会はあまりない。

私も含めて不運にも自身の特性に気づけなかった人は、

特性を考えていたら悩む必要のなかった苦しみを感じている可能性がある。

やりたいこと、興味のあることはもちろん大事だが、

客観的に自身の特性を見つめることは仕事を無理なく続けるには大切である。

 

⑥医者社会と若者のアンマッチ

他の一般社会同様、医者社会も、家庭を顧みずに働き続けた昭和の男性医師が作ってきたものなので、一心不乱に働ける男性仕様になっている。

上司が仕事第一主義を信仰していて、職場全体が洗脳されていることが結構多い。

さらにどこでもそうなのだろうが、中堅以上は自分たちの生き抜いてきた環境が最善であるとまだ信じている。

そんなかでゆとり世代の若者が仕事に来られなくなった時、

健全でない組織では、組織側に問題があったのではという発想が出てこない。

専攻医個人の耐久力が足りなかったとか、特定の上司のパワハラのせいだ、という

個人レベルの問題に片づけられてしまって、組織の問題を省みる機会を失ってしまう。

あるいは、上司にはある程度生存者バイアスもかかっていて、現状を理解はしているがそれに耐えられる人だけが生き残ればいいと思っているからあえて現状を変えようとしないのではないか、と疑いたくなる時すらある。

私が休職した時、上司は私が休職した原因を私の完璧主義的な性格傾向のせいだと思っているようであった。

もちろんそれは要素の一つではあるのだが、それだけが原因にされるのは納得できなかった。

過労死ラインを超えて働いていたのは事実なのに、長時間労働についての見直しはなされなかったし、

組織運営の不透明さを主張してみたが、全く理解してもらえなかった。

結果、医局への不信感もさらに募ったし、元来低かった自己肯定感もさらに低下した。

医局社会というのはとても閉鎖的で宗教みたいなものなので、

今時の若者とはあまり相性が良くないかもしれない。

組織側がそれを理解して、改善しようとする気が無ければそのうち組織は衰退していくだろうなと思う。

 

人が精神的に潰される時、何か一つだけのことが原因ということはおそらく少なくて、

複数の要素や軸があって、それらの総合点であるときふと、限界を越える。

色々考えてみたら、医療者に独特の部分も少しはあるけれど、基本的には若者の燃え尽きと同じ話ではあるなと感じた。

一般職種の過労死が取り沙汰されるようになったように、

医療者の過労死も、もっと問題視されて議論がなされて

市民の健康を担う医療者が、健康でいられるようになってほしい。