欲求

年明け早々暗い気持ちになりたい人なんていない。

ひとりぼっちで時間を与えられると私のような性格の人間はいらないことばかり考える。

勝手な印象として、考え癖のある人は鬱になりやすいので気をつけたほうがいい。

 

さておき、正月だからといって病院は完全に休みにはならない。

入院患者を家に帰せるわけでもないし、急患も来るからである。

なので、連休の間は当番を割り振っている。

大体若い人が大晦日から三が日の当番に当てられる。

なんか癪だけど文句をいっても仕方ない。

 

大学院生として病棟の担当からは外れたまに外来や当直をする生活になって、早3ヶ月。

10月と心境として変わらないところも、少し変わったところもある。

変わらないところは、手術やカテーテルに別に入りたいとは思わないところ。

今日もやってるなーとは思うし、お疲れ様ですとは思うが。

予想していた以上に、手術に対するこだわりというかがないらしいことが発覚した。

むしろ、やる気に満ち溢れている人を見ると、私との距離感を強く感じる。

その度、私はやはり向いてないんだなと思う。

 

変わったところとしては、自分の存在意義が見出せないことである。

これまでは嫌でも前線に立たなければいけない環境で働いていたので、

仕事は嫌だったけれど、ある意味、自分がいないと困るということが私の存在価値になっていた。

今は私がいなくても誰も困らない。ほんとに誰も困らない。

外来をすっぽかすでもないし、病棟の患者さんをほっぽらかすでもないし、

手術に入る人が足らなくなることもないし。

この仕事は続けられないなと思うくらいには無理なのに、

何かしらの形で世間に還元していないと自分の存在価値を認められなくなる。

人間ていうのはなんて贅沢な生き物なのだろう。

 

マズローの欲求の5段階でいけば、

私は生理的、安全欲求は医者になったことにより達成された。

経済的に1人で生きていけて、衣食住を保つことができる。

生理的欲求、安全欲求を満たされていないことが学生の時までのなんとか1人で食っていけるようにならなければという焦りの正体だったのだろう。

しかし、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求はどうか。

医局への帰属意識は薄いし、外科医をして人生を削らないと承認欲求が満たされないのは不健康だ。自己実現欲求は仕事が嫌いな時点で達成されないだろう。

とりあえず、今のまま、あるいは普通の脳外科医を続けていては、私はいつか潰れる。

だから辞めなければいけない。

もう結論は出ているのに。なぜ。

 

 

地方医師のアイデンティティ

人を属性で語るのは偏見だ。

全くもってその通りで褒められたことでは無いが、

属性ごとに性格や行動、価値観に同じような傾向があるのも事実な気がする。

 

地方医大に入学した頃、県外出身の私は

出身高校をすごく気にされるのが不思議でならなかった。

(私の出身校なんて誰も知らないので話も盛り上がりようがないし)

新しい人と知り合えばどこ高校の何期生か、誰と同級か、何部で誰と知り合いかといった話を、

大学生に限らず50,60代のおじさん達もよくしている。

どうやら地方では出身高校がどこか、というのは経歴の中でとても大切なことらしく、

中には高校浪人する人すらいるらしいという噂も聞いたことがある。

 

知り合いには医療関係者が多いので、必然的に地域トップ校出身者が多いが、

彼らには基本的な揺るがない自己肯定感や自信がある、と思うことがよくある。

あるいは、自分が軽く扱われるなんて微塵も思っていなかったり、

大切にされることに慣れている人が多いなと日々感じる。

開業医の子息が相当数いるのも影響しているとは思うが、

自分が駄目なわけがない、と心の底から思っている感じがする。

羨ましい限りだ。

 

生まれてからずっと同じ県で住み続けている地方医師は多く、

そもそも世襲開業医もまだまだ多いので、

コミュニティの繋がりが強いし、

いまだに地方で医師であることの社会的価値は大きいし、

彼らの中で我々はエリートであるという価値観が変わりようがないのだろうと思う。

さらに、

今の日本の地方医大は、地域枠と呼ばれる

奨学金を給付する代わりに卒業後は大学の所在県の公立病院や僻地で(大体7-9年間)勤務することを義務付けられるものがどんどん増えていて、

出身県の高校生を囲い込むことに必死で、

より若者が内向きになっているのも影響しているかもしれない。

 

自分より賢い人がごまんといて、

自分など大したことはないと、

幼少期から思うのは、都市圏出身なのも影響しているのだろうか。

はたまた、ただの性格か。

ひとまず彼らとは根本で分かり合えない、ということだけは確実だ。

医者の人生

小学生の頃、Dr.コトー診療所というドラマが大好きだった。

10年以上経って医者になって見た映画版コトーは、苦しかった。

1人で何年も島を支え続け、一体何歳設定なのかわからないけれど白髪だらけになってやっと子宝に恵まれ、なのに自分や家族よりも島の人を優先するし、島の人もコトーにそれを求める。

令和の研修医の価値観が今の私と同じで、島の価値観は平成と変わっていない感じが。

そういうメッセージを受け取って欲しいと作り手が思っていたかは定かではないが、

医療と医療者と市民の関係の、時代による変化という社会問題を私個人としては感じた。

 

診療科にもよるのかもしれないが、

医者はある部分公人であるし、公的財産として存在することを求められる。

それ自体は間違いではなくて必要だと私は思うが、程度の問題はある。

医者としてのスキルを持っていることを資源と考えると、

医者になったからにはいついかなる時も患者のために自分の人生は投げ打って、医者として生きる。

ということになるが、(コトー先生的な)

それができる若者は今の時代そんなにいない。

ゆとり、z世代だからとかそういう問題だけではなくて、

昭和の外科医がぶいぶい言わせていた時代と比べて医者の付加価値も下がっているし、医療界全体のお先真っ暗感もあるので、

余程洗脳されているか、使命感に燃えているか、

ほんとに自分のことがどうでもいいか、

でないと、

自分の人生これでいいのか?

とどこかで思うことになる。かもしれない。

 

私個人の思い出を振り返ると、

初期研修の頃の写真フォルダには遠出したものは数日分しかない。研修医仲間の日常スナップはちょこちょこあるが。

思い返しても、ほとんど病院にいて、座敷童と呼ばれていたくらいなので必然である。

とは言え、同期と病院近くの定食屋に行ったり、医局で喋ったり、寮でみんなで鍋を突いたりという思い出はあり、楽しかったは楽しかった。

後期研修はよりひどい。4年間の間の写真がほとんどない。友人の結婚式に行ったのと、年1で旧友に会うかどうか。

要領のいい人はこの間に結婚して子供が生まれたりしているので私が要領が悪いだけと言われればそうかもしれないが、

誇張なくほぼ全てを仕事に注いでいた。(仕事をしているというか、生き延びていたという感覚)

 

貯金残高は増えた。

だって使い所がないし、使う時間もないから。

休みの日(と言ったって、起きたら病院には行くのだが)は寝溜めして、可能であれば溜まった仕事を消化して、気づけばまた1週間が始まる。

命を削って働いているという実感が毎日あった。

あの頃私はまだ30前だったのか。

世の中の同世代の女の子たちが婚活だなんだと言っている頃、私は病院でゾンビのように、誰が患者かわからないような状態で働いていた。

 

後期研修が終わって、

本当はこれからより研鑽を積むべき時期で今まで以上にハードワークした方が医者としてはいいのだが、無理ができなくなってしまった。

ずっと前から行ってみたかった登山や旅行に夏休みをとって行ってみたら、

病院の外にはこんな世界があったのか、と

冗談じゃなく思った。

自分も人間で、

医師として市民の奴隷として働くばかりではなくて、人間としての人生を楽しむ権利があるのではないかと、はじめて思ってしまった。

洗脳から目が覚めたと言ってもいいかもしれない。

 

私が生きるのに不器用なだけだとは思う。

私は、凡人の自分が、いい医者になるには人生を捨てなければと思い込んでいた。

医者とはそういうものだ、医者になったからにはそうするべきだと、思っていた。

でもそれで私という人間は死にかけた。(物理的にも、精神的にも)

 

そのことを経て、今は考えを改めた。

バランスよく、仕事も頑張り、余暇も楽しむのが一番良い。

全身全霊をかけて人生の全てを市民の皆様に奉仕できないのは申し訳ないけれど、

自分のスキルとか、医者という資源、ある部分公人である私が社会に細々とでも、長く貢献できる方が、意味があることなような気がするし、

私自身のことも大切にしないと、私が死ぬ時に後悔しそうだから。

仕事100%の頃私は早く死にたくてたまらなかった。不治の病にかからないかなとか、明日目が覚めなければいいのにと、大真面目に思っていた。

でも今は、行きたいところとか、趣味でやりたいことがたくさんあって、死にたいとは思わない。仕事がすごく嫌だとしても、死ぬくらいなら仕事辞めて行きたいところ全部行ってからにしよ、と思えるようになった。

 

至極当たり前なことしか言っていない気もするが、意外と医者自身が神格化された医者のイメージに羽交締めにされているのはよくある話ではなかろうか。

医者も結局1人の人間。

酷使されれば壊れます。

外科医の資質

今日、後輩が時間外労働の申請用紙を月100時間を超えないように書き換えていた。

私もかつて産業医面談に呼ばれたり教授に何か言われるのが面倒で同じことをしていた。

医者界隈ではよくある光景だが、これは一般社会では普通なのだろうか?

 

院内長時間労働者の面談を担当しているという精神科医の方が

「大体面談対象になるのは心臓血管外科、脳外科、消化器外科の医者で、

月150時間の残業をしているのにも関わらず、へっちゃらで、

早く手術に戻っていいかと聞いてくるくらいだ」(言い回しは違う)

SNSに投稿していた。

その投稿に対して、

外科医は体力も知力もとんでもなく高いし、

やる気のある人には働きたいだけ働いてもらおう みたいなコメントがいくつかついていた。

 

この投稿と、やり取りを見て、私は複雑な心境になった。

確かに、一部の外科医や、昭和の外科医は体力がえげつないほどに高く、

疲労というものを知らないのか、と思うほどに元気である。

手術終わりに夜通し飲み会をしたり、ランニングしたりする人も確かにいる。

自分の仕事や手術が好きでたまらないから、いくら働いても苦しくない、という人も一部にはいるだろうことは否定しない。

 

でもそれは決して全てではない。

仕事が楽しくて仕方がなかったり、体力が異常に高いために耐えられる場合以外にも、

産業医面談で上記のような発言をする理由は他にもある。

それは、診療科の中では普通の働き方で、自分も同僚や上司も働きすぎであると思っていないパターンである。

月150時間の残業が特別ではなくて、周りの全員がそのくらい働いている場合、

自分だけ休むわけにはいかない、と思うのが人間というものである。

自分で自分を追い込む事にもなるし、上司からの評判が落ちないように、頑張るしかない状態になっていたりする。

働きすぎて感覚が麻痺していて、自分がもう限界を突破していることがわからない人もいる。

 

現に、私は長時間労働の末に休職したことがあるが、

休む直前には、「ここで休んだら終わりだ」と心から思っていたし、

実際、復職した後は医局の上司からは腫れ物扱いされた(ような気がする)し、出世街道からはすっかり外れてしまった。

 

産業医面談に呼ばれちゃったんですけど、テキトーに大丈夫っすって言っときました」

と上司に言う先輩も見たことがある。

長時間労働が常態化している職場では、それが普通で、美徳になってしまっているし、

大変なことに耐えられるのがかっこいいみたいな価値観が横行しているので、

「疲れました。少し休みます」なんて恥ずかしくていえないのだ。

 

外科医には生存者バイアスがかかっているので、大体長時間労働を耐えてきた人たちが指導医になっていて、心のどこかでは若者は長時間労働に耐えて研鑽すべきだと思っている。

私も研鑽は必要だとは思うけれど、月150−200時間の残業をしていると流石に家にも帰れないし、食事だってまともなものを食べられないし何のために生きているかわからなくなった。

きっとそう思うのは私だけではなくて、周りの外科医で専門医をとった後に医局をやめている人も何人もいるし、専攻医で蒸発してしまったり転科した人も定期的に出ている。

そもそも外科系診療科を専攻する研修医自体が減っているのに、さらに今の時代に昭和のような超長時間労働を強いるなら辞める人も出て、外科医として働ける人が絶対に足らなくなる。

(ちなみにヨーロッパでは外科医だって長時間労働はしないらしい。)

 

医局も医局で、結局長時間労働を避けて通れないなら初期研修医に説明するべきなのだが、

勧誘でそんなことを言おうものなら誰も入局してくれないので言わない。

言い方は悪いが、馬車馬のように働かされて、潰れたら使い捨てにされる。

潰れた時に、医局は責任をとってくれない。(明らかに違法な過労死でもない限り)

 

医者も、そうでない人も、外科医を神格化したがるのだなとSNSを見ていて思ったけれど、

外科医だって人間なので、全員が全員体力お化けなわけではない。

体力お化けであることが外科医の資質なのか、と言われたらどうなんだろう。

かつてはそうだったのかもしれない。

しかし、これからの日本で外科系の医療を存続させるためには、昭和の働き方ができる数少ない超超ハイパードクターに全てを任せるだけでは無理で、普通の外科医が普通に人としても生きていけるような社会である必要があるのではなかろうか。

 

女が医者になるということ

私は一応女性医師である。

あまり性別で区別して話をするのは好きではないが、

女性が医者になる時に起こる独特の事象は存在すると思っている。

 

受験生の時には、性別で何かが変わるだなんて本当に微塵も思っていなかった。

私は世間知らずの幸せ者だった。

知らない間に試験の点数を引かれたりはしていたのかもしれないが、

(女子学生・多郎生の入試点数減点騒ぎはちょうど私が入学した頃の出来事である)

気がつくこともないので考えもしなかった。

 

高校生の頃から若干周りから浮いてはいたが、

勉強のできる男子生徒も同様に浮き気味ではあったし、

私の性格自体も変わっているので、性別のせいだとは特段思っていなかった。

 

そもそも子供のことから女性性が私には足らない。

プリンセスが好きだったり、可愛らしい格好をしたいという願望もないし、

化粧をするなどして異性から見て魅力的になろうとすることもない。

アイドルやらモデルやらにも興味がない。

周りの同級生がそういう話ばかりするので、全然ついていけないし楽しくないしで

ずっと友達は少なかった。同級生との会話の中に私の居場所は基本的になかった。

(別に話の合わない人と友達になりたいとも思っていなかった)

大学の時にも、男女分け隔てなく話はできたが、それ以上に深い関係を築くことはなかった。

なので、私は男性が女性をどういう目で見ているか、ということに対する免疫が著しく足らない状態で社会人となってしまったし、

女性が社会でどういう立ち位置であるか、もよく考えずにいた。

 

社会に出て、男女で分けられる場面、女性というグループに入れられて勝手に解釈されることが多いことにまず驚いた。

女性医師は増えてきたとはいえ、まだまだ男性医師の方が多い。

医者の集まりに行くと男性7−8割、女性2ー3割くらいのことが普通なように思う。

研修会や医局の中で、マイノリティの女性は女性だからというただそれだけの理由で仲良くする、一緒に行動することを強要される傾向にある。

女医だって個人によって色々な人がいるので、私のような変人もいるし、女性性の高い人もいる。

染色体がXXだという以外に共通点がない人と、業務上必要な以上に一緒にいるのは私のような変人にとっては難しい。それならいっそ1人の方が何倍も楽である。

 

続いて、中年男性が仕事中ですらいかに性欲を切り離すことができないのか。ということに辟易した。

同年代の男性医師は、私のような芋っぽい女医のことは女性としては扱わないので、フラットに接することができてこちらとしても気が楽であるが、

中年男性方からすると、染色体がXXで若ければなんでもいいらしく、

彼らの中で理想化された女性としての立ち居振る舞いを色々と強要されることが多々ある。

大体において、若年女性は、穏やかににこにこしていて、男性の話に「すごいですね」と感心して、男性よりも優秀でないことが期待されている。

お茶やコーヒーを淹れろとは言われないが、飲み会のお酌は女の仕事だといまだに思われているし、「女の子がいると場が華やいでいいね」などとのたまう。

女性が近くにいるとそれだけでなんだか浮き足立っている中年男性もいる。

女性の中には、チヤホヤされて嬉しい人もいるとは思うので、そういう人にとってはこういう中年男性はいい人なのかもしれないが、

女性であることに価値を見出していない私からすれば、気色悪いの一言である。

女だからって甘やかされなくて結構だ、と思ってしまう。

働き始めて数年は、中年男性の機嫌を損ねないように期待されていることをしようと努めていたが、我慢の限界に達して、必要以上に優しくすることはやめた。

 

さらに、働き始めると女はあまり期待されていないということに気がついた。

特に、外科医の世界では、大っぴらには言わないものの

「女のくせに外科医になるなんて生意気なやつだ」と思っているのが隠しきれていない大先輩がちらほらいる。

確かに体力は同年代の男性と比べたらどうしても劣るので、72時間寝ずに働くなどということは残念ながらできない。

しかし、それを除けば頭脳や手術技術の点では特に男性に引けをとっているとは思わない。

当直だって、救急当番だってやってはいる。できることだって昔よりは増えた。

ただ無尽蔵に働けるかどうか、という点で男性に勝つことはできなくて結果的に

フラットな視点で女性が出世頭になることは難しい世界だ、と感じる。

今の私たちの狭い狭い業界で出世していっている女性がいないかといえば、もちろんいるけれど、

男女共同参画事業の一環だったり、子育て女医の宣伝のためだったり、

女性が活躍していることを宣伝するための要素が多少なりともあることも少なくない。

(勿論本人たちが一生懸命努力して働いて勝ち取った結果であることは言うまでもないが。)

 

外科医界隈の女性はどちらかというと負けん気が強くて仕事と結婚系の方が多いとは思うが、

外科医界隈でない女医さんたちはもっと女性としての人生についてよく考えている、

という事に遅ればせながらあるとき気がついた。

夫も医者でメジャー科なので自分はマイナー科に、持ち患者のいない麻酔科や放射線科に、と

自分の興味のあることを諦めている女医さんがたくさんいる。

当時の私はその感覚が全くわからなかったし、今もわからないけれど、

医者の世界でも、夫に合わせて妻がキャリアを制限するのは珍しいことではない。

逆のパターンは聞いたことがない。

家庭の事情で諦めざるを得ない人もいるし、

そもそもQOL重視で診療科を選ぶ人もいるのでなんともいえないが、

女医自身にも、医者になったからといって女性としての人生は他の職業の人と一緒、

と考えている人の方が多いのだなあとやっと気がついた。

(私は医者になると決めた時点で、結婚して子供を持つという選択肢はどこかにおいてきてしまった、というか、結婚したり子供を持つことはないだろうと思ったので1人で身をたてる必要があり医者になった側面もあるといった方が正しい)

さらに、私は中年男性の女性チヤホヤは気分悪いと思ってしまうたちだが、

それを利用してのしあがろうとするハイエナのような女医さんもいて驚いた。

本当に、染色体以外には共通点のない人なんだな。と

 

女性であるだけではなくて、童顔なせいもあるのかもしれないが、

医者として大切な「頼り甲斐」という項目にも女性であることはやや影響する。

今ではだいぶ減ったが、特に高齢男性の患者さんには「若い女が担当医で大丈夫なのか」と言われたり「私の主治医がいつになってもこない」(主治医が男性だと勝手に思い込んでいるので回診していても看護師だと思われている)と言われたりしたことが何回かある。

看護師だと思われて呼び止められて、「看護師さんに確認してください」とお願いすると、

医者だとわかって急に態度を変える方もまあまあいる。

看護師さんに間違われなくても、実年齢よりも若く見られて研修医に間違われることも結構ある。

せめて頼れる医者感を出そうと、白衣を着て自信ありげな話し方をするようには心がけている。

他科の中年男性医師と話す時は最悪で、偉そうな図々しい態度で出られるとこちらは言い返せないし、言うことを聞かざるを得なくなる。

若い女だからと舐められているなと感じることは多い。

 

どこの世界でも同じだとは思う。

むしろ、資格仕事であるだけ医者界隈ではましなはずなのだが、

それでも、働き始めてから色々な場面で自分は女性なんだと自覚させられる場面がたくさんあった。

 

もし今と同じ人生をやり直すなら、男になりたい。

 

 

 

 

医者である意味

医者の中には、

自分が医者であることを自分から言う人と、

必要がなければ言わない人がいる。

私は後者だ。

特に医療従事者以外の方に医者であることがバレると、

医者という色眼鏡を通してしか接してもらえなくなるからだ。

特に女医ともなると、

バレるとまず引かれるし、

話し方が変わるし、

健康相談が始まることもある。

 

病院外で知り合った人とは、

そのコミュニティの話を普通にしたい。

ただそれだけだ。

 

自分が医者であることに意味をどのくらい見出しているかは人によるんだろう。

場面によっても変わるかもしれない。

 

私にとって医者であることの意味がどのくらい大きいか。

ちょうど考えている。

 

医者あるあるの一つに、

研究医になるわけでもないのに博士課程に進むというものがある。

私も今その段階にあり、ありがたいことに大学院のことに専念させてもらっている。

医者として働いている時間は、外勤と当直の時だけである。

手術もカテーテルもない。持ち患者もいない。

 

医局の他の人に引け目はやや感じるものの、

それを除けば嫌なことがほとんどない。

手術から離れて思うのは、別にやらなくていいならそれでも全然大丈夫ということだ。

救急とか急変で叩き起こされることもないし、

休みの日に患者さんの方が気にかかっておちおち休んでいられないということもない。

 

やっぱり、外科医には向いてないのか。

そうだろうな。

 

外来はそこまで嫌いではなくて、

むしろ多少なりとも医者として働いている方が自分のスキルを世の中に還元できていることに満足できるので、

私にとって医者であることはまだ意味があるが、

外科医であることにはあまり意味がない。

ということなのかもしれない。

 

緊急手術となれば目を輝かせ、血が騒ぐ、

天性の外科医とは土俵が違うのだろう。

それが知れただけでも十分だ。

印象的な言葉

2人の患者さんから同じ日に言われた印象的な言葉。

 

1人は30代の方で、

一時は命も危険な状態で人工呼吸器やら色々やったが、時間をかけて少しずつ、でも着実に良くなって来ていた。

「入院が長くなって来たので、疲れていませんか?」と言う私に対して、

「ご飯が自分で食べられるだけで幸せです。がんばります。」

と、笑顔で答えてくれた。

こちらも泣くほど嬉しかった。

この方は、2ヶ月後くらいに歩いて退院した。

 

もう1人は40代の方で、

気がついた時は癌が相当悪くなっていて、もう手がつけられない状態だった。

お母さんとワンちゃんと暮らしていて、

入院中も2人のことをずっと心配していた。

ぱっと見コワモテなのに、回診に行くとよくペンギンの動画を見ていた。

一時帰宅して病院に戻って来て、

「おうちはどうでしたか?」と聞いたら、

「あと10年は生きたかった」

と言われ、号泣された。

私は泣いてはいけないと、我慢するのに必死で、

なんと声をかけていいかもわからず、

「私たちがみんな力になりますから、いつでも言ってください」

としか言えなかった。

この方は程なくして亡くなった。

私はなんの力にもなれなかった。

 

あの日から2年くらい経つ。

いつまでも忘れないだろうと思う。

忘れずに心に留めておけるのが私の医者としての強みでもあるのだけど、

大きな弱さでもあると自覚している。

医療者として期待されることに応え続けるのには、精神力も、体力も必要だ。