昭和医師VS令和医師

世の中男女共同参画が叫ばれる様になって久しいが

未だ社会的地位の高い人や要職についている女性は諸外国と比較して少ない

と色々なところで目にする。

医療分野も例外ではなく、

医師について言えば一部の診療科を除き男性優位社会なのが一般的で、

さらに所謂ハードで有名な外科系診療科

(腹部一般外科や心臓血管外科、脳神経外科など)では

医局員のほとんどが男性なのは全然普通で、紅一点になることは珍しくない。

 

主に40代以上くらいの世代の、これらのハードな診療科で生き抜いてきた医師達は医師一般の平均以上に人生の全てを仕事に捧げてきている。

(誇張ではなく、本当にほぼ全てを仕事に捧げている。)

彼らは基本的にできるだけ長い時間病院にいることが正義だと思っているし、

どれだけ全てを投げ打って仕事に打ち込んだか、に

アイデンティティを見出している方も多い。

緊急となれば待機であろうがなかろうが全員病院に集結するのが当たり前で、

チーム制だろうと休日だろうと絶対に一度は病棟回診しないと落ち着かない、

そういう人たちだ。

個人的にはこういう先生達のおかげで日本の医療はこれまでなんとかやってこられたのだから、本当に頭が上がらないし、尊敬しているが、

一方で、

このような考え方の上司が多い医局では

当然のように非生産的な長時間時労働が常態化していたり、

異様なまでに厳しい上下関係があったり、

完全な休日と言えるに日は年間に数日しかない、

といった負の側面があることも少なくない。

 

昨今の、仕事はほどほどに自分の人生も楽しみたいという

若者の考え方に全くマッチしていないのは言うまでもなく、

外科系診療科だから給料がとても高くなるわけでもないので

外科系診療科の志願者は需要に対して不足しており、

各科は若手のリクルートに必死になっている。

 

「うちは自分の人生を全て医療に捧げるつもりのやつしか歓迎しない、

生半可なやつはこちらから願い下げだ」

なんて言ったら志願者数はさらに減るし、世の中の流れ的にも問題なので、

各科は

「みんなが思ってるより、普通の職場だよ。ちゃんと休めるし、産休育休サポートもできるから女医さんもきてね」

とアピールするのに必死だ。

現にこれらの外科系診療科や循環器内科などのハードなことで有名な診療科では、出産経験のある女性医師がキャリアプランロールモデルとして医局の広報担当になっていたりする。

彼女らは医局の看板を背負って「うちの医局は女性医師に理解がありますよ、入って大丈夫ですよ」と宣伝することを期待され、求められているのだ。

逆にこういう宣伝をしないといけないほど、育休産休をとることや育児をしながらキャリアを積んでいくことが普通ではない世界なのだつまり。

育児中の女性医師が働きやすい職場は、残業が少なく家庭の時間を取ることにも理解があることから男性医師にとっても働きやすい職場となり、

好ましいことではあるが、それは本当にちゃんと育児中の医局員を支援するシステムがあればの話である。

外科系診療科ではそもそもギリギリの人数でなんとか日常臨床を回していることも少なくなく、

女性医師支援をしているという広告をするために

実体のない産休育休推進令が敷かれると、

当の本人は罪悪感を感じながら産休育休を取得し、

残された医局員の負担は増加する、といった事態も起きかねない。

仕組み自体を整えないと気持ちよくみんなが働くことは難しいかもしれない。

 

昭和の時代にはみんな家庭を顧みずにひたすら働いていたので、

この様なことは少なかったはずで、

ある意味、「女性はお断り、ものすごく頑張れない人はお断り」

としてしまった方が、常にフル稼働できる人たちしかいないので話は簡単なのかもしれない。

 

とはいえ、私も平成生まれで令和に生きるゆとり世代の1人なので、

女性お断り時代に戻るのではなく、男女関わらず

仕事にフルコミットしたい人はできる、

ワークライフバランスをある程度とりたい人はそれもできる、

人生の段階(結婚、子供、親の介護 etc)に合わせて自由に選択できる、

そんな社会になってくれたらそれが一番だと思う。

 

医局という組織

全国の大学の医学部には各科の医局という組織が存在しており、

大学教授を筆頭として臨床、研究、各科の医師の教育、学部学生の教育などを行なっている。

大学医局の大きな役割の一つは医局員を関連病院に派遣する人事権を握っていることである。

昔は大学医局が殆どの勤務医の人事を斡旋していたので医局の権力は絶大であったが、

今は市中病院に若いうちから就職したり、市中病院が基幹施設の後期研修もあったりするので

大学医局に所属していない若い医師が増えており、

以前と比較して大学医局の影響力は小さくなったと言われている。

とはいえ、こと田舎においては多くの病院では医者が足りないし、

縁もゆかりもない田舎の病院に直接応募してくる医者なんて殆どいないので

まだまだ医局派遣がないと病院の人事が立ち行かないところも多い。

 

医局には、病院にとっても医者個人にとって利点と欠点がそれぞれある。

病院からすれば医局は安定して人材を派遣してくれる元締めのような存在であるが、

一方で、医局引き上げ(医師派遣を止めること)をちらつかせて待遇の改善を求めたり、

無理な条件を呈示したりすることもなくはないという噂も聞く。

医者にとって医局の利点は、勤務先を斡旋してくれるので食いっぱぐれはないということと、

専門医取得までの必要な症例を経験しやすいことであろう。

一方で、決定的な欠点として、自分の希望で勤務地を選ぶこともできない。

これは多くの医者にとって大きな問題で、30代から下手をすれば40近くまで

半年から数年に一度引っ越しを余儀なくされる。

(人事の理不尽具合は医局により千差万別なのだとは思う)

私は独り身なので引っ越し自体は色々なところに住んでみるのもいいかもと思うくらいだが、

病院が変わるとまた人間関係を一から作り直さないといけないのは大変だし、

人によっては結婚して子供が産まれて、人生のうちで大きな出来事が多く起こる頃に

ころころ自分の希望とは関係なく転勤させられるというのは結構きつそうだ、と

同期や先輩後輩を見ていると思う。

しかもこの人事異動は基本的には拒否権はなく、どうにも嫌なら医局を辞めるしかない。

過去には人事に納得がいかないことを申し立てたところ

「そこが嫌ならうちの県から出ていけ、そして戻ってくるな。県内の他の病院に就職し様ものなら許さん。」と半ば脅された先輩もいたらしい

(専門医取得済みで、次の職場も自分で見つけられるなら辞めても問題ないとは思うが、

人によっては結婚していたりすると県外に出ることは容易でないこともあるだろう)

あるいは、優遇されるような人事の恩恵に預かりたいのであれば、

研究や臨床の実績を残し、医局にとって必要な人材であることを必死にアピールしなければならない。

 

組織に属するという人はみんな同じようなものなのかもしれないけれど、

医局という組織もなかなかブラックである。

優等生の呪縛

私はもともととても心配性で、優等生気質だった。

試験前になると試験に落ちるのではないかと不安で不安で仕方なくて、

特に医学部においてはすべての科目が必修で一つでも単位を落とすと留年するので

とても真面目に勉強した。

勉強のモチベーションは学問的な興味というよりは留年に対する恐怖である。

結果的に大学を次席で卒業したが、

自分のことを頭がいいと思ったことは一度もないし、

大学の成績がいいことと、医師として優秀であることは全く関係がないと思う。

しかし、実際、医者の世界は狭いので、

医局にも他科の医者にも在学中の成績が知られており、

勝手に優秀だと期待されて困っている。

(一方でそのことを全く知らない医者には若くて女だというだけでとても理不尽な対応をされることもあるので、自分にとってはメリットとデメリットと両方あるとも言える)

 

私が、在学中の成績と頭の良し悪しが関係ないと言うのには理由がある。

医学部の試験はほとんど全てが暗記力で乗り切れる。というか、暗記力しか問われていない。

難しい理論はほとんど存在しない。試験においては。

過去の偉大な研究者たちが見つけた功績をただただ頭に突っ込み、知識として蓄えるだけだ。

医学の発展に貢献してきた偉大な研究者の皆様は素晴らしいが、

それを覚えて試験で答えているだけの私は何もすごくない。

試験のために分厚い教科書1冊分の知識を丸暗記するのは確かに大変なのだけれども、

覚えているだけ、知っているだけなので、ただそれだけだ。

あえて言うなら、医学部の試験の成績の良し悪しは、

膨大な知識量を試験日という期日までに知識をどれだけ詰め込んでこられるか、という

自己管理能力を測ることはできるかもしれないが、それ以上のことは問えない。

 

実際の臨床で知識は役に立ちはするけれども、

必要な知識は別に学生の時に覚えていなくても働き始めてから嫌でも覚えるし、

臨床能力と記憶力は比例しないだろう。

研究や学術活動なんてもっと関係ないだろう。

 

なのに、大学の成績がいいだけで優秀な人だと勘違いされるのは少し困るし、

それだけで優秀なんだろうと人を評価するような人は人を見る目があまりないのではないかとも思う。

もっと医師として評価するべきところはたくさんある。

 

 

 

 

 

 

医師という生き物

病院で働いているといろいろ大変なことはあるのだが、

私にとってその上位にあるのは人間関係である。

特に、医者との人間関係。

患者さんや、他職種との人間関係にとても困らされたことはそこまでないが、

(医者に対してものすごく攻撃的な対応をしてくるのは通常余程のことがあった時)

医者は厄介な人が多い。

傲慢で、排他的で、陰湿で、その上無責任で

自分が世界の中心だと思っている人が少なくない。

 

医学部医学科の学生は基本的に全員医者になる。

初期臨床研修が必修化されて以降、卒業後に一度も医者として働いた事のない

医学部卒業生は稀なはずだ。

医学部に入学して、はじめの数ヶ月、

一緒にいる人が固定化するまでの間、

なんだか嫌な人が多いなあと思ったのを今でも覚えている。

こんな人たちと六年もやっていけるだろうかと。

地元の高校での成績が良かったことを大学に入ってもまだ自慢する人、

有名な高校出身であることを自慢する人、

入試の点数開示や過去の模試の成績を自慢する人。

そうやって、自分が人よりも優秀であると主張したがる人が多かった。

医学部に入って医者になることを鼻にかけている人もいた。

私の友人はそういう人ではなかったのは幸いだが。

学年の中でもだんだん自慢せずとも誰が成績が良くて、

誰が留年すれすれなのかわかるようになり、

成績の良かった私に自慢してくる人はおらず、

私の目に見えるところでは嫌な光景はあまり目にしなくなった。

 

医学部というのはとても狭い世界で6年間もあるので、

立場が定まったら基本的には変わらず、

私は、主流からは外れているが、害悪でもない、勉強はできる人、

という立場でのんびり過ごしていた。

ヒエラルキーで言ったら最底辺なのかもしれないが、

 そもそもヒエラルキーに属していないような気持ちであった)

この頃の私は忘れていたが、元来医学部に来るような人たちは

自分にある程度の自信があり、プライドがあり、

人より自分は優れているという自負がある人たちなのだ。

 

また、一般的には医学部の学生は私も含めて

勉強はできたかもしれないが、それ以外のことはほとんどしたことのない

世間知らずの坊ちゃん嬢ちゃんで、実家も経済的に恵まれており

公立/国立大学であっても、自分でバイトして学費を工面している人や

奨学金がなければ学校に通えない人はほとんどいないか、いても数人である。

(東大の入学生の親の世帯収入が高いというのと構造は同様である。)

 

こんな人たちが医者になったらどうなるか。

気をつけていないと勘違い医者になるのは簡単だ。

基本的には医者は他職種や患者さんから先生と呼ばれ、理不尽なことを言われることは少ない

一部の医者は、自分は偉いと勘違いし、自分が何よりも優先されるべきだと勘違いする

自分の思うようにことが進まないと怒鳴り散らす。

他の職種に対する敬意や配慮が足らず、コメディカルには偉そうにするし、

医者間では年齢と学年、肩書が何よりも大事で、

自分より立場が上の医者にはペコペコして、後輩のことは奴隷のように扱う

こんなパワハラモラハラの権化みたいな医者は程度の差はあれそこらじゅうにいる。

 

考えてみれば、大学入学時点でこうなることは予想できていたし、

18歳の時に、仲良くなれなさそうだと思った種類の人たちと、

25を超えたら仲良くなれるかと言ったらそんなことはない。

むしろ、25歳くらいから70歳くらいのクセの強い医者がゴロゴロいるわけで、

人間関係が厄介になることは必然かもしれない。

 

めんどくさい医者とやりとりしなければならない時、

なんでこんなことに精神を削られなければいけないのだろうかと思う。

それに、これ以上長くこの世界にいたら自分もそのうちそちら側の人間になってしまう

のではないかと感じることもある。

 

私はただ、平和に過ごしたいだけなのだ。早くこの世界から逃げたい。

 

 

 

 

 

 

 

実際の医師の働き方

医師の労働時間の制限がこの4月から変わる。

医師の働き方改革と言われているものである。

厚労省曰く、

医師は他職種と比較して抜きんでた長時間労働の実態にあり、日本の医療が医師の自己犠牲的な長時間労働により 支えられている危機的な状況にあります。長時間労働の是正による医師の健康確保、仕事と生活の調和を踏まえた多様 で柔軟な働き方の実現を図ることが、医療の質と安全性の確保、これからの医療を支える人材の確保、地域の医療提供 体制を守ることにつながることから、時間外・休日労働時間の上限規制等の働き方改革が必要となっています。 

 
とのこと。
実際医師はどのくらい働いているのか、
医療関係者以外が知るべきなのかもわからないが、
私の思い出として残しておく。
 
医師と一口に言っても、
勤務医なのか、開業医なのか、病院以外の勤務なのかでも全く勤務時間は違う
総合病院の勤務医に限って言っても診療科によって特性が大分異なるので
労働時間も異なるはずであるが、
あくまで私の実体験をお伝えする。
 
①初期研修 
とてもハードなことで有名な総合病院の初期研修医だった私は、
仕事の要領が大変悪く、さっさと終わらせて帰るなんてことができなかった。
穏やかな科の研修では定時で帰れることもあったが、
平均して週の半分は病院の仮眠室で寝ていたし、
一番ひどいときは
朝7時前には病棟で全体回診前に1人で担当患者さんの様子を見に行きカルテを書き始め
日付が変わる前に仕事が終わればいい方で、夜中2時くらいまで病棟で業務していた。
次の日にカルテを書きながら電子カルテの前で気がついたら寝てしまったり、
悪循環だった。
初期研修医には時間外手当という概念がなかったので、当直代を除いて一度ももらえなかったと思う。
夏休みは3日確かもらえたけれど、
年末年始も当直やら科の待機でカレンダー通りに家に帰るなんてできなかったし、
当然のように誰も有給なんてとっていなかった。
むしろ、二年目になって一年生が有給を申請しているのを見て初めて、
自分たちも有給を申請することができるのだ、と知った。
今思えば明かに過労死ラインを超えて働いていたが、当時は
医師とはこんなものなのだと本当に信じて疑わなかった。
医師であるからには自己犠牲の精神で限界まで奉仕しなければいけないと本当に思っていた。
寝不足や人間関係のストレスで何回か体調を崩して、自分には向いていない、と思い始めた。
 
②後期研修 大学病院 
大学病院の長時間手術と、カンファレンスの準備のためにとても長い時間を要し
またしても週の半分くらいは家に帰らず医局のソファで寝ていた。
明かに業務過多で、時間外労働が多く産業医面談に呼ばれたが、
産業医面談では「ねえ、大変だよねえ。なんかあったら診断書は書けるので言ってね」と言われただけだった。
その後程なくして仕事に行くことができなくなったが、
医局は労働環境の是正には当然のように取り組んでくれなかった。
1ヶ月休んだが、その後何もなかったかのように過重労働を再開した。
自分の身を守るために、早くここを抜け出さなければと思いはじめた。
 
③後期研修 市中病院
医局派遣で市中病院に異動になった。
カンファ準備や長時間手術に伴う長時間労働は無くなった。
外来のない日の日中は救急車が来るかどうかで忙しさが変わり、
救急車が来るかどうかは運なので暇な日と忙しい日の差は大学病院と比べて激しい。
穏やかな時はお茶を飲んで休憩することもできるが、
朝から何も食べられず気がついたら夜になっていることもある。
2人で当番を回しているので、当直明けの日に夜まで働かざるを得ないこともあるし、
何日も連続で真夜中に呼び出されることもある。
真夜中に呼び出されても、翌日は普通に仕事をする。
当番の日は家にいても病院からいつ電話がかかってくるか分からないので
なんとなく落ち着かず、携帯が鳴ったのではないかとビクッとすることがよくある
携帯にすぐに出て病院に行かなければいけないので、
温泉、映画館、コンサートといった携帯電話の電源を落とす必要がある場所には行きにくく、
たとえ当番でなくても、緊急手術となったら呼び出されるのでこのような場所には
あまり行かなくなったし、
飲酒も車の運転ができず病院に行けなくなるので付き合い以外ではしない。
 
目の前に困っている方がいれば助けになりたい、
自分のスキルがその役に立てば嬉しい
私を含めて多くの医師はそう思っていると思う。
ただし、医者も1人の人間なので働き過ぎれば倒れるし、パフォーマンスも落ちる。
自分の健康と安全を保てずに、患者さんのことを十分にケアすることはできないと思う
世の中の働き方改革と同様に、医者の労働環境も適正化されることを切に願う。
 
市民の皆様が病院でなんだか疲れ切ってフラフラの医者を見かけたら、
こんな働き方あるいは、もっとひどい働き方をしているんだろうな、、と
思っていただければ幸いである。
 
 
 
 

はじめに

医師なろう、と

中学生か高校生の頃に気がついたら思っていた。

人の役に立つ仕事で、資格があって、学問としても奥が深そうで、

同じ医療職の中では最も裁量権が大きくやりがいもありそうだし、

医学は医学部以外で勉強できないし、

周りの大人も医者になりたいと言うとみんな喜んで応援してくれた。

 

凡人にとって医学部受験は大変で、家族に助けられながら

なんとか、現役で地方の公立医学部に入学した。

学力的にも大変だったけれど、それ以上に、

勉強以外のことをしていると不安と浪人の恐怖が襲ってきて、精神的にキツかった。

医学部に入学したときは、やっと受験が終わる、とホッとした。

 

医学部に入ってからは、

全てが必修科目で一つでも単位を落としたら留年する恐怖

試験前はまた取り憑かれたように机に向かった

(試験以外では研究室に行ったり部活動をしたりもしたので楽しくはあった)

不安を機動力とする勉強の結果、いい成績で卒業した。

 

医者になって、

何を間違えたか、体育会系の合宿所みたいな研修病院で初期研修を始めた。

初期研修が始まってすぐに、自分は医者に向いてない気がする、と思い始めた。

頼もしい同期に支えられて、なんとか初期研修を乗り越えた。

3年目から、また何を間違えたか、ハードで有名な科の後期研修医になった。

勉強は面白いけれど、輪をかけて、自分は医者に向いていない。早く辞めたい。

と思うようになった。

早く辞めたい。と思い始めて早四年。年齢に見合わない量の白髪が出現している。

 

そんな、医者の世迷言。